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現代を生き抜くヒントになる!カーネル・サンダースが遺した言葉

真っ白なスーツを着て微笑むケンタッキーフライドチキンの広告塔であり、創業者でもあるカーネル・サンダース(以下カーネル)。その人生は実に波瀾万丈。山あり谷ありの道のりでしたが、どんな時でも諦めない不屈の精神で困難を乗り越えてきました。そんな苦労人だからこその言葉をいくつも残しています。今回はその中から、今を生きる私たちの心に響く言葉を紹介します!


「私にはたった二つのルールしかなかった。 “できることはすべてやる。” “やるなら最善を尽くす。”これが何かを達成する感覚をつかむ唯一の道だ」

家計を助けるために10歳から牧場で働き始めたカーネル。幼さゆえに仕事に身が入らずクビになってしまいます。このとき母に言われたのが

「仕事で大切なのは、ベストを尽くすこと」

でした。
カーネルはこの言葉を生涯忘れることはありませんでした。
その後、鉄道員や弁護士助手、保険営業、タイヤ販売員、蒸気船運航会社やガソリンスタンドの経営など約30もの職を経験します。そのなかで、母の言葉を忠実に守りながらカーネルなりの仕事の哲学が育まれていきます。

カーネルは熱意をもってがむしゃらに働き、ビジネスの才能を発揮しますが、その礎となったのが前出の二つのルール。例えばガソリンスタンドのオーナーを任された際には、周辺の店よりも2時間早い朝5時から営業し、フロントガラスを拭いたり、タイヤの空気を点検したりという、今でいうフルサービスを無料で提供。当時、周囲にこのようなサービスをしている店はなく、評判を聞いて訪れるお客さまでいっぱいになりました。

「失敗とは、再始動したり、新しいことを試したりするために与えられたチャンスだ。私はそう信じている」

トップセールスマンとして活躍していたカーネルですが、環境の変化や世界恐慌、事故などによって何度も職を失い、破産や借金を背負ったこともありました。そんな困難に直面してもカーネルは希望を失わず、
「できることはすべてやる。やるなら最善を尽くす」
の精神で人生の危機に立ち向かいました。

実際に失敗や危機に遭遇した後のカーネルの行動力には目を見張るものがあります。カーネルは43歳のときに「サンダース・コート&カフェ」というモーテル(ホテル)をオープンしています。ここでもゲストのニーズに応えたサービスを徹底。宿泊料金は相場よりも高いにも関わらず予約困難な人気モーテルとなりました。ところが人気絶頂期に「サンダース・コート&カフェ」を火事で失ってしまいます。
出火当時、カーネルは約300km離れた別の店舗にいたのですが、報告を受けて翌日の早朝に現場に駆け付けました。そしてその日の午前中に再建の手はずを整え、昼頃には現場に材木業者が到着していたといいます。

カーネルは後にこんなことを言っています。

「失敗や無駄だと思われてきたことなどを含めて、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要はない」

カーネルのこのような肯定的な考え方が、自分を信じて行動するエネルギーにつながり、不屈の精神を支えていたのでしょう。
最強のメンタルをもったカーネルですが、そうはいっても悩み、悲観的になったこともあったでしょう。しかし決して状況を嘆き続けるようなことはありませんでした。
それは以下の言葉からもうかがい知れます。

「ベッドに入ったらあれこれ悩まないことだ。とてもつらかった時代から、私はずっとそうしてきた」

真夜中で何もできないなら、ぐっすり眠って次の日に備えたほうがいい。カーネルのオンオフの切り替え上手な生き方も、現代社会を生き抜くヒントになりそうです。

「何歳であろうと、やる気と信念があるならば大丈夫。それがすべてにおいて最も大きな要素です」

高速道路移転の影響で売り上げの落ちた「サンダース・コート&カフェ」を売却し、借金を返して無一文になったカーネルは、フランチャイズ・ビジネスを積極化しました。一軒一軒レストランを訪れて「フライドチキンのレシピ」を売り込んだそうです。そこで断られた回数はなんと1,009回。それでも迎え入れてくれた店には、丁寧に2日間もかけてレシピを伝授しました。自慢のフライドチキンの味を広めることが、レストランのオーナーのためにも、それを食べるお客さまのためにもなると信じていたからです。その根底には様々な経験を積んできたカーネルの人生の哲学があったのです。

65歳でケンタッキーフライドチキン コーポレーションを設立したカーネルの信念と努力が実を結び、ケンタッキーフライドチキンのフランチャイズ契約は急増。1960年には、ケンタッキーフライドチキンのチェーン店はアメリカで200店、カナダで6店となっていました。その時、カーネルは御年70歳、一般的には既に引退している年齢ですが、カーネルにとって何歳であるかというのは大した問題ではなかったようです。それはこんな言葉からも伝わってきます。

「65歳になった人なら誰にでも、積み上げてきた経験というものがあります。山もあれば谷もあり、人生には試練もあれば辛酸をなめることも一度や二度ではないでしょう。
その経験から活かせるものがないはずはありません。65歳までにあなたが手に入れてきたことを結集させれば、きっと新しいスタートが切れますよ」

1980年に90歳で亡くなるまで、カーネルは精力的に動き続け、ケンタッキーフライドチキンの顔として生涯現役を通しました。

「走るのをやめた人間は、そこから一気に坂を転げ落ちるものだ」

カーネルは、人生を通して走り続けたといっても過言ではありません。簡単な道ではありませんでしたが、困難をものともせず「おいしいもので人をしあわせにしたい」という強い信念を持ち続けました。強い信念は、次の言葉にも表れています。

「私には指針にしていた教訓がある。人は“できる”とか“したい”と思う分だけ実現できるものだ」

現在、日本を含めて150以上の国と地域にあるケンタッキーフライドチキン。

「人をしあわせにすることに引退はない」

と言っていたカーネルは、今もフライドチキンを買いに訪れる人たちを看板やロゴとなって出迎えています。


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